いつか泡になって消えたい、そんな夜だってある。
自分の存在意義を考える夜。
何をしたいのかわからないし、どうして毎日生きてるのか分からない。
頑張った先には一瞬だけ満足できる時があるけど、また次に向けて頑張らなきゃいけない。生きてる限り頑張り続けなければいけない。
どうしてこんなにも息苦しいんだろうか。
夢も希望もクソもない。
得たものはいつかなくなる。その一瞬の高揚感のために、頑張らなければならない。
適当に普通に生きればいいのかもしれないけど、私にとって普通に生きることはすごく頑張らなきゃならないくらい、気力の容量が少ない。
ストレスの容量も少ない。
大人になんてなりたくなかった。
気象病と低気圧。
今日は頭が痛くて目が覚めた。外を見たら雨が降っていて、偏頭痛か〜と二度寝をして寝坊。
思えば小学生くらいの頃から気象病の症状はあった。でも10数年前はまだ気象病なんてメジャーじゃなかったから偏頭痛として片付けていたけど....。
(そういえば、頭痛がひどくて脳外科とかにも行ったな〜。ネットのやりすぎとか、携帯の見過ぎとか言われたけど)
今だから分かるけど、低気圧とか天気が悪くなるとそれに比例して体調も良くなくなるんだ。同じような人もいるんじゃないかな。
頭痛〜るっていうアプリをいつも使っているよ。
このアプリで頭痛とか体調面のことをメモしたりしてるけど、本当に低気圧と頭痛って関係してる。
こんな天気にプラスして首コリが酷い。きっとこれはpcのやりすぎ。自覚症状あり。
ロイヒツボっていう10円玉くらいの大きさのサロンパスみたいなやつがあるんだけど、これがすごい効くんだ。だけど、それがこの間切れちゃって......買い置きしておけばよかったと後悔。
本当に今日は起きてるだけでしんどい。これじゃ体調壊すし、メンタルも弱くなる。
こんな時は天気のせいにして開き直るしかないんだけど、開き直る気力もない。
ブログで何を書くか、とかまだ具体的に決めてないけど、今は毎日書けるように訓練!
生活保護費より低い初任給。「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か。
フジテレビで放映している「健康で文化的な最低限度の生活」(柏木ハルコさんの原作のマンガ『健康で文化的な最低限度の生活』の実写版)が、今日最終回を迎えた。
最初は何となく見ていたけど、これは色々勉強になるドラマだ。
まず、生活保護費の金額だ。ドラマを通して始めて生活保護の支給額やその内訳を知った。録画していたので書面を映した瞬間一時停止をして見てしまったくらい。
受給者によって金額は変わってくるみたいだけど、なんと、私の新卒初任給ではないか.....!
びっくりした。
体力、労力、精神力その他もろもろを消費して、やーーーっの貰えたお給料。
私が言いたいのは、生活保護者はお金を貰いすぎだ!とかそんなことではない。
むしろ私の勤めていた、というか、私のいた業界に疑問を抱いた。
IT業界、しかもSES....
分かる人は知っていると思う、この異様な業界を。
正社員なのにSESという体のいい人材派遣業界。そんな所に入ってしまった勉強不足な私が悪いのも事実だけど。
そんな中、生活保護費の額を知って、私がやっている仕事って何だろう。毎日早起きして、往復時間プラス拘束時間9時間、規定時間を超えなきゃ貰えないしやらなくてもいい無駄な残業、教育環境に適さない現場、業務内容を何も分からないまま放り出される形態。私って表面上は人並みの生活なのに、最低限度の生活を送ってるんだ。そう漠然と未来が霞んで見えた。
バイトをしていた方が稼げる。
そう同期と愚痴をこぼした夜もあった。
頑張って働いたとしても、上がる見込みのない給与を見て、バカバカしくなった。
私の新卒一年目は、不健康で文化的な最低限度の生活だ。
新宿の夜と、夏の空。
七夕は一昨日だけど、星に願いを。
今週のお題「星に願いを」
またまた今週のお題にチャレンジしてみます。
「星に願いを」。。。うーん。
なかなか難しいなぁ。
一昨日は七夕だったけど、毎年七夕の日は曇りとか雨で天野川が見えない気がしませんか?
きっと彦星と織姫はまだ逢っちゃダメだよ、そう言われているよう.....。
短冊に願い事なんてもう何年書いていないんだろう。
最後に願いを込めたことすらも記憶にないな....。
私の今の願いは、強いて言えば毎朝起きることが苦痛でなくなることかな。
私は朝日が嫌いで、夕日が好き。
だけど、平日は朝日を見ながら出勤して夕日が見えなくなったころに退勤。
それだけでもストレスがたまる、そんなストレス耐性皆無の私なんだけど、
多分毎日陽が沈むのを見届けられればこんなに毎日がつらいことなんてなかったのかな。
うん、、、私だけが辛いことはない、絶対に。これは言い切れるし、そんなこと分かってる。
だけど、まだ大人になったばっかりの子供上がりが「辛い」ってこぼすと「甘えだ」って言われがちだよね。
みんな自分の主観と経験で好き勝手言ってくるけど、30代40代50代になっても経験していないことなんて山ほどあると思うよ。
それなのに自分の尺度で指摘するのって随分傲慢じゃないかな。
たしかに年の功とか言ったりするけど、私は無駄に歳を重ねているようにしか見えないな。
みんながみんなそうじゃないけど、声が大きい人って自分が正しいって威張ってる人が目立つ気がする。
話が脱線した、話を戻そう。
私は「好きなことで生きる」ってとっても素晴らしいことだと思ってる。
仕事=辛いっていう方程式はもう要らない。
はあちゅうさんとかすごくキラキラしてるじゃん。
私は彼女のこと、新しい仕事の在り方の先駆者だと勝手に思ってる。
これからもっともっとキラキラしてる人が増えるんじゃないかな。きっとそうなると思うな。
だって今の時代、SNSが簡単に繋がる環境がそばにあるんだよ。
それなのに50年前と同じ働き方してるなんて、ぜんぜん進んでないよ。
働き方改革以前に”生き方改革”するべき。
生き方が変われば働き方なんて必然的に変わってくるよ。きっとそう。
だからどうか、辛いことが減りますように。
私の今の願いはただそれだけ。
”私のことだけ考える”をはじめてみようっていう話。
会社を辞める決断をした。
といっても、入社4か月で何言ってんだって話だけど。
今日上司と電話して、退職考えてるって話をしたら
「OK」とはもちろん言われなかった。そりゃそうだ。
即日退職OKなんてないよね。
今の私の精神状態って不安定も不安定で、プロジェクトが変わったとしても、また自分の勝手で迷惑をかけるわけにもいかない。
この先どうしようか、ということを考えた時に
「自分の好きなことをして生きていきたい」
っていう気持ちが以前よりも強くなっていることに気付いた。
実はこの気持ちは就活しているときにも芽生えた感情で、
多分このタイミングを逃したら、またずるずる世間体を気にして、自分が楽しいって思える仕事をしないままでいるような気がしてきて怖くなった。
失敗したらまた仕事を探せばいいし、今は失敗する気が1%もしないんだ。
私の勘は8割あたるからこれを信じてみたいって思う。
この気持ちを確固たるものにさせたのが、
ホリエモン著の『自分のことだけ考える。』だ。
初めてホリエモンの本を読んだのが今でよかった。
すごく読みやすくてすぐに読み終わってしまった。
ホリエモンは私が中学生のころに”あの”件によって逮捕されてしまったのがとても印象的で、傲慢で自己中な実業家というイメージがとても強かった。
だけど、それはメディアが報じていた虚像のホリエモン像であって、
本当のホリエモンとはかけ離れたものだ。そう思った。
そんなホリエモンが著述した『自分のことだけ考える。』を読んで、
やっぱり私が思っていたことは間違いじゃなかった。そう思わせてくれた。
きっとこの本を読んだ人の中でも自分のために書かれた本なんじゃないか、そう思った人がいるのではないだろうか。
正直ホリエモンがあんなにも人間的な人物だとは思わなかった。
読んだことない人がいたらぜひ読んでほしい。
新書だから安いし軽いし手軽に読めるよ。
人間は思い込みの生き物、みんなと同じじゃないと不安になって、自分よりも楽しそうで幸せそうな人を妬み嫉む。だけど、そんなの知らねぇよ。自分がいいと思ったことをやって何が悪い。悔しかったら自分もやってみればいい、やれないから批判して失敗を笑う。そんな人生私は嫌だ。
1回きりの人生だし、失敗も後悔もたくさんして、その分たくさん笑っていたい。
今のように未来に不安を抱いて、でもどうしようもなくて嘆いているだけで終わる人生なんて私は嫌だ。
仕事をやめる決断をしたのはもしかしたら間違っていたかもしれない。
だけど、今やってみなかったら私はずっとこの時を思い出して後悔するんだろうな。
やらない後悔よりやった後悔?
ウルセェ!
そう思っていたし、私はそういう人間だけど、
今回ばかりはこの”綺麗”なことばに縋ってみよう。
恥の多い人生を送りそう。
低気圧プラスぷち鬱のせいか、何もしたくない日々が続いている。
お先真っ暗って今の状況を言うのかな。
今日、地元にあるお気に入りのラーメンを食べた。涙が溢れる程安心したし、とっっても美味しかった。私は生きてるんだ、そう思った。
「この先どうしよう」
そう呟いた私に「好きなことすれば」
そう言ってくれた家族。仕事を辞めると言った私に、茶化して「ニートニートwwwww」と笑ってくれる兄弟がいること、とても嬉しかった。
私がこんな状態で、腫れ物に触れるような深刻な表情で話を聞かれたら、私はもっともっと気分が滅入っていたと思う。
だけど、本当はもっと頑張ってほしかった、普通のOL生活を送ってほしかった、そう思ってるんじゃないかと思えて仕方がない。だけど、私が頑固なことを分かってるからそれを言って来ないの、知ってるよ。
来週1週間はちゃんと会社に行かなければいけない。正直、行けるか不安だし自信もない。親からは「その分じゃ来週も行けないと思うよ。」そう言われた。
「行かないと」
先週からずっと何度も心の中で呟いている言葉。
私は自分で自分を追い込んでるし、事態を自分で重く受け止めてすぎている。適当でいい、って何度も言われたことがあるけど、適当ってどのくらいの感覚のことを言うのかよく分からない。これは、料理でいう「塩 少々」の少々が分からない料理下手な人の感覚と似ている。
ここ数日、「会社 辞める」関連のワードで検索をしているんだけど、みんな社会から外れようとしている人に対しての風当たりが強いね。そんなの分かってたつもりだったけど、実際同じ立場になってその言葉を目の当たりにすると、やっぱりグサっと刺さる。
何が最善で何が正しいのかそんな明確な答えなんてないけど、世間の思う正解に対して従順にいなきゃっていう思い込みがあるせいで、自分の意思に靄がかかってる.....。
人間失格みたい.....世間じゃなくて自分....。
世間がゆるさないのではない、あなたがゆるさないのでしょう
本当にこれ。
世間って都合のいい個人なんだよ。
人間失格を読んだのは大学1年生の頃。すごくハマるものがあって、ピース又吉が毎年読み返すって言ってる意味がやっと分かった気がした。人生について深く考えて、悩んで悩んで死にたくなったことのある人、人生に虚無を感じている人とか、恥の多い人生送ってるな、そう思ってる人や潜在的な部分でそう感じている人にはバイブルになっているんじゃないかな。
私もあの頃感じた「私がゆるさないんだ」っていう感情忘れてたよ......。
甘いって言われたけど、ウルセェよ。私の人生お前にとやかく言われる道理はないし、長い人生私とあんたの交わりはほんの一瞬。
誰かのせいにして生きてた方が楽かもしれないけど、自分の人生は自分でしか歩めないじゃん。
って、頭では分かっているんだけどね、毎時感情が変わる今の現状では受け入れるのは難しいな。あはは